詭弁vs言論の闘争の構図|藤井 聡

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詭弁vs言論の闘争の構図

(※ 先に紹介したメルマガ記事には、以下のような付録が付いています。詭弁vs言論の闘争の構図を、最新の記者会見の発話データ(↓)
https://www.youtube.com/watch?v=zRlcJzJ3_HY
を活用しながら、改めて描写いたしました。是非、ご一読ください)

【【付録:公権力者による「詭弁」という言論封殺(2)】】
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/17/fujii-132/

ところで、ここで論じた「事実4」に関連して、公権力者である大阪市長が、大阪市長としての記者会見の現場で、「実際に大阪市で市域外にお金いっぱい使っている」という(当方も含めた、少しでも行政を知っている者ならば誰もが知っている当たり前の)「事実」を指摘し、「事実4」を取り上げている藤井に、「おかしさ」があると論じ、「(藤井は)現実の政治行政を知らない」と、発言しておいでです。
https://www.youtube.com/watch?v=zRlcJzJ3_HY

つまり「事実4」は、いちいち藤井に指摘されずとも既に成立している当然のことだ、という

「事実4を『肯定』する」

趣旨の主張を行い、「これを『問題』にしている者(=藤井)が、行政について意見を言う資格などない」という旨を示唆しておいでです。

しかし、その直後に、「千早赤坂に道路作るって…あれは完全にごまかし」と指摘し、かつ、「大阪市内から税金が流れる。どっかに流れていくなんてそんなバカな議論なんてありえません。」と、今度は驚くべき事に、先の主張とは真逆の、

「事実4を『否定』する」

趣旨を主張し、「事実4を『指摘』している者(=藤井)は、バカ(引用)な事言うような資質しか持っていない」という趣旨の発言をしておられます。

すなわち、その短い発言の中に、この「事実4」について全く異なる、相矛盾する2つの見解(事実4を肯定する見解と、否定する見解)の双方を表明し、しかも、それぞれの表明を通して、

「藤井=現実を知らない、バカ(引用)なことを言う学者」

というイメージを、公権力とマスメディアを巧妙に活用しながら印象づけておられるわけです。

しかも、後者の「事実4」の否定については、その根拠を一切示さず、ただ単に「あり得ない」と論じている、という始末です。言うまでも無く、藤井がこれまで「事実4」について詳しく論じた内容の全てを無視しています。

そして、これだけ「不当な論理」を重ねた挙げ句、「藤井=現実の政治行政知らない」という「印象操作」だけは強力に遂行しているという次第です。

むしろ、論理そのものが「矛盾」したものであるが故に、理性的に理解しずらく、かえって、「印象操作」だけが鮮烈に残るという効果まで見い出すことができそうです。

そしてその「印象操作」が、

1)公権力者の記者会見という場でおりなされ、
2)新聞記事で、「藤井氏を「現実を知らない」とばっさり切り捨てる」と報道され、
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-wst1502140014.html
3)「橋下徹が藤井聡を完全論破」なるインターネット動画が放映される。
https://www.youtube.com/watch?v=9yrQQqT2Yk8
…という格好で強化され、これらの「記者会見」「新聞」「ネット動画」を通して、

「藤井=現実を知らない、バカ(引用)なことを言う学者」
「藤井が指摘した事実4は下らない指摘」

というイメージが、既成事実化していったわけです。

ここまで「既成事実化」が進行すれば、後は、ほとんど何のコメントも付与せずに、ただただ、百万人以上のフォロアーがみているツイッターで、引用するだけで、ますます、その既成事実化は進行します。
https://twitter.com/t_ishin/status/566640412698218496

そして今やその既成事実化したイメージは、当方の言論についての超絶な「言論封殺」を導く大きな「詭弁パワー」を発揮するにいたっている、という次第です。

これがさらにTVメディアを通せば、さらにその規制事実化は進行し、「藤井=現実を知らない、バカ(引用)なことを言う学者」というイメージは固定化し、ますます、「言論封殺」が強化していくことになるでしょう。

さて、こうした公権力者とメディア、インターネットの共同作業で進行する既成事実化こそ、先週論じた、「詭弁による印象操作」に他なりません。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/10/fujii-131/

すなわち、以上の「既成事実化」は、詭弁の重要な特徴として上げた以下の2つの点をそのまま、強力に踏襲しているのです。

1)とにかく論理的な正当性はない、
2)しかし、「相手がバカだ」「間違っている」等の印象を与える(印象操作)、

いずれにしても、ここまでくれば、「言論封殺」の圧力をもたらしているのは、一個人だけなのではなく、中心に位置する人物と、その周りにいるインターネットとメディアに関わる夥しい数の人々なのだ、という社会学的構造が透けて見えて参ります。

ただし、そのパワーの中心にあるのはやはり、

印象操作のための不当な論理である「詭弁」

であることは間違いありません。

だからこそ、「言論封殺に屈しない」上で、何よりも重要となるのは、まずは、そのパワーの源泉である
「詭弁」
の構図を、明確に見て取ることに他ならないのです。

そして、その最強の舞台として彼らが準備するのが、あらゆるフォーマットでの「ショー」です。その「ショー」にて徹底的に詭弁を弄し、印象操作を繰り返せば、「言論」の真実性を吹き飛ばすことをより効果的、かつ強力に遂行することが可能となるのです。

当方二年以上前から公言しているように、詭弁が約束された「ショー」に協力するつもりはありません。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」──こうした「詭弁の構造」についての的確な状況認識こそが、「言論」VS「詭弁」の闘争を戦い抜くにあたって、何よりもまず大切なのです。