「都構想」をめぐる現象は「全体主義」現象である|藤井 聡

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「都構想」をめぐる現象は「全体主義」現象である

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http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/04/28/fujii-140/
新日本経済新聞(2015/04/28)より

「都構想」をめぐる現象は「全体主義」現象である
藤井聡@京都大学大学院教授

大阪都構想を巡る住民投票がこの度、告示されました。
http://www.asahi.com/articles/ASH4W15S6H4VPTIL01L.html

賽は投げられたのであり、好むと好まざるにかかわらず、有権者達は今や、必要な知
識を得て、

「考える」

責務を負わされてしまったのです。

しかし───今、現代は、この「考える」ということが、著しく衰弱し、困難なものになってしまっています。

あらゆる局面でイメージやムード、あるいは、雰囲気や空気が優先され、少しでも真面目な話をしようものなら、「まじめだなぁ」「なんで、そんなにのめり込むの?」だのと煙たがられ、挙句に、「お前、空気読めよ」と叱責されてしまいかねません。

「都構想」を巡る日常会話の中でも、そんな会話が、今、大阪では日々何千回、何万回と繰り返されているところでしょう。

つまり、今我が国には、

「思考停止」

が横行し、しかも、それを強要する風潮に覆いつくされ始めているのです。

こうして人々が思考を停止すればするほどに、イメージやムードの影響力が極大化していきます。そして、

といった、政策の中身についての情報の無い、単なるイメージ戦略だけで、特定施策の「賛成票」がますます増えていくことになってしまうのです。

こうして、人々が思考を停止したままに大阪の存廃が決せられてしまえば、大阪は、そして、日本はどうなるのでしょうか?

残念ながら、その先にあるのは「破壊」であり「破滅」です。

その理由は、一昨日に発行された拙著、

『<凡庸>と言う悪魔 ~21世紀の全体主義』
http://www.shobunsha.co.jp/?p=3543

の中で仔細に論じました。

本書は、前半で、ヒトラーによる全体主義の構造をハンナアーレントによる議論をベースに論じた上で、21世紀の今日、様々な局面ではびこる「思考停止した凡庸な人々(=ゾンビ達)」によって織りなされる「全体主義」の構図を、描写していったものです。

そこで論じたのは、「いじめ全体主義」、から、小泉改革に代表される「改革全体主義」、そして、学会で横行する「新自由主義全体主義」そして、それら全てを包括して世界規模で展開する「グローバリズム全体主義」です。

ただし、本書を書き上げた後、突如として「都構想の住民投票」が決まったのですが、それもまた、典型的な「全体主義現象」と言わざるを得ないものでした。

ついてはその状況を鑑み、本書ではその最後「おわりに」の中で、「大阪都構想と全体主義」について論ずることとしました。以下、その一部をご紹介したいと思います。

『(~<凡庸>という悪魔 より抜粋~) あまり知られていないのかも知れませんが、そもそも、住民投票という手段は全体主義社会で頻繁に活用される手法です。なぜなら、全体主義が一定水準以上に到達していれば、全体主義体制下で推奨されるあらかたの政策や法律は、全てほとんど何の議論もないままに必然的に「賛成多数」となるからです。

本書でも何度も指摘しましたが、「民主主義」という仕組みは、全体主義と結託したとき、瞬く間に全体主義現象を加速し、巨大化させるものなのです。

(中略)筆者は、大阪で今、まさに進行している様々な現象を頭の片隅におきながら、本書に目を通した時、とりわけ「都構想」の問題にも一部触れていた「改革」全体主義の章においては、あまりの「思い当たる節」の多さに、改めて感心いたした次第です。

全体主義現象の7つの特徴を改めてここに記載しましょう。

1)思考停止
2)俗情
3)テロル
4)似非科学
5)プロパガンダ
6)官僚主義
7)破滅

(中略:これらの中でも)一つだけ、指摘しておきたいと思います。「7)破滅」に
ついてです。

「大阪都構想」と呼ばれるものは現在の大阪市を「廃止」して「5つに解体」するものです。これは大阪市民の自治体にしてみれば、文字通り「破滅」的な帰結と言う他ないものです。しかも、それを決めるのは、大阪市民自身なのですから、自己破滅的な投票だと言い得るのが、今回の住民投票です。

さらに、「大阪都構想」が実現した暁に、大阪市民、大阪府民、そして日本そのものは一体どうなるのか──そうした諸点についての筆者の見解をとりまとめた書籍を、本書を出版する直前(平成27年4月上旬)に出版いたしました。

題して『大阪都構想が日本を破壊する』(文春新書)。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610204

その詳細は是非、その本にお目通しいただきたいと思いますが、その本は要するに、今、住民投票の対象となっている、「都構想」の設計図と言われる「協定書」に書かれている通りに、大阪の行政の仕組みが大改革されれば、大阪の行政が一体どうなるのか──についての筆者の見解をまとめたものです。

筆者は、その住民投票の対象となる「協定書」は文字通りの「論外」、つまり賛否を論ずる以前の代物であることを指摘しています。

すなわち、それで大阪がよくなることなどありえず、行政は著しく非効率化し、大阪市民の行政サービスレベルは著しく下がり、中長期的に大阪の都心が衰退し、結果的に大阪全体が地盤沈下し、その余波を受けて関西も西日本もさらに地盤沈下し、その必然的帰結として東京一極集中が過激に進行する、そして、そうなったときに首都直下地震が東京を襲い、日本は万事休すになる──という未来を仔細に論じました。

もちろんそれは筆者の見通しに過ぎず、未だ訪れていない未来を断定することなど、誰にもできません。

しかし、ナチスドイツが台頭するその途上では、ナチスが力を握ることでドイツが破滅し、欧州が壊滅的ダメージを受ける、という(今ならば誰もがたやすく理解できる)見通しを「断定」することは誰にもできなかったはずです。

しかし現実は、ドイツは破滅したのです。

なぜなら、当時のドイツは「理性に基づく議論」によってでなく、「思考停止に基づく全体主義」によって拡大路線を突き進んでいたからです。そもそも全体主義は、それが全体主義である以上、必ず「破滅」へと結びつきます。言うまでもなく、「思考停止」に陥った人々は、目をつむりながら高速道路を運転するドライバーのごとく、破滅以外の結末を迎えることはできないのです。

ただし重要なことは、ドイツが破滅するか否かは、それが全体主義であるか否かによっても見通せますが、全体主義という概念を一切用いず、「理性に基づく議論」を用いるだけでも、かなりの確度で見通すことができます。

たとえば、(ドイツ敗北のきっかけとなった)対ロシア戦において、「冬が訪れるまでにロシアを陥落させることが『できない』可能性」は、冷静な理性に基づく議論さえあれば、誰もが認識できたはずです。そしてそんな理性的認識さえあれば、対ロシア戦でドイツが大きな痛手を受けることは回避できたはずです。しかし思考停止に支配された当時のドイツでは、「ロシアごとき、冬が来るまでに勝てるのだ」という根拠なき「断定」が、それこそ全体主義的に繰り返され、根拠なきままに対ロシア戦がはじめられ、敗北し、破滅していったのです。

筆者が、『大阪都構想が日本を破壊する』の書籍の中で試みたのは、まさに、そういう理性的認識を得んとする作業でした。

すなわち、「都構想が実現すれば、行政は効率化し、成長できるのだ」と繰り返されている「断定」が真実なのか否かを、都構想の設計図に基づいて理性的に吟味したところ、そうできる見通しはほとんど考えられない、きわめて高い確率で、「都構想」によって大阪は衰退し、それが、日本に大きな損害を与えるに違いない、と論じたのです。

むろん、この筆者の議論が正当であるか否かを、筆者が判定する能力はありません。だから、筆者の主張の正当性は、筆者以外の人々の「理性」、すなわち、「読者の理性」に委ねなければなりません。

ただし、構想が実現してから5年、10年、20年後の大阪の姿を実際に見ることでも、筆者の見解の正当性を吟味することはできるでしょう。万一、その時の大阪が悪夢のような状況に至っていたとするなら、そしてその時はじめて、今の大阪都構想をめぐる社会状況が、本書で論じた全体主義の典型例であったのだということが、誰の目にも明らかになるのかもしれません。

それはもちろん、あまりにも悲しすぎる結末です──。

その悲しさゆえに、筆者は、筆者の見解が誤っていることを、祈念しているくらいですが──万一、筆者の見解が不幸にも正しく、都構想で最悪の未来が実現してしまったとしても、それでもやはり我々は生き続けなければなりません。

つまりその最悪の状況の中でもやはり、我々は次善の策を「考え」続けることが求められ続けるのです。だからやはり、いかなる状況に立ち至ったとしても、最も大切なことは思考停止を止め、考える能力(ability to think)を取り戻し、保持し続けることのほかに何もない、と言わなければならないのです。』

今の大阪の有権者の皆様は、「思考停止」を「止める」力がどれだけ残されているのでしょうか───その答えは、あと20日弱で出ることになります。筆者は無論、「ability to think」(考える力)が、未だこの現代においても、残されていることを信じたいと思います。

PS
「思考停止」はいかにして「凡庸という悪魔」を生み出すのか、そして彼らは如何に
してプロパガンダ、似非科学、テロルを繰り返す「全体主義」を作り上げるのか──
「都構想」現象の本当の姿を理解するためにも、是非いま、ご一読ください。
http://www.shobunsha.co.jp/?p=3543