政治にかかわる討論をショーとして見るのは、下劣な恥ずべき行為です。~残り18 日|藤井 聡

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政治にかかわる討論をショーとして見るのは、下劣な恥ずべき行為です。~残り18 日

みなさまおはようございます、投票日まであと18日。 休日の本日は、大阪市内では賛否様々なアピール/言論/議論が展開されるものと思います。

そんな企画の一つとして、本日は、都構想についてのTV討論会が開催されるようです。

どうやらお聞きしたところによりますと、一方が一名、もう一方が数名、という状況と伺っております(情報がまちがっておりましたら、どなたかご訂正ください)。

これは、一人の方が不利で、複数いる方が有利、という風に一見見えるかもしれません。

……が、時間の限られたTV番組では、その「真逆」となるのです!

もちろんこうした状況で、前々回に当方が登壇したTV討論の様に「人数の多い方が多くの時間がつかえる」なら、人数が多いほうが「有利」となります。討論は、トータルとして長くしゃべった方が優勢に「見える」可能性が高くなるからです。

しかし逆に「双方の時間が平等」であれば、逆に、人数が少ない方が「有利」になります。

なぜなら、複数人いる場合、一人ひとりの時間が限られ、言いたいことが散発的になってしまい、結局納得感が得られないままに、別の話者に話を譲らないといけなくなる危惧が生ずるからです。

もちろん、どういう状況でも、十分な時間があるなら「公平」に近づいていきますが、TVの場合は、絶対的に時間が不足します。その結果、きちんとした分かりやすい言説がほとんどできなくなり、印象操作を上手にできた方が勝つという、下らない「ショー」にしかならない可能性が高まってしまいます。そしてその結果として、有権者の判断に資する機会ではなくなってしまう危険性が高まってしまいます。

当たり前でありますが、「視聴者」の立場にあるものは、決して、討論会をプロレスの様なショーとみなしてはならないのです!

そういう態度は、極めて「下劣」な「恥ずべき振る舞い」なのだと、自らを律せねばならぬと、当方は「一視聴者」として強く感じます。

どのような討論会であろうと、我々「視聴者」は、

 「発話の雰囲気やイメージを情緒的に判断するのでなく、
発言された内容を理性的に吟味する姿勢」

を保持し続けねばならないのです。

言うまでもなく、TVという媒体を巡っては、「発話の雰囲気やイメージを情緒的に判断する」視聴者が大量に湧き出てくることは間違いなきところであろうと思われますが、少なくとも本メッセージに触れた方だけでも、

「政治討論会を視聴する、まっとうな態度とは一体何なのか?」

を、少し立ち止まって「考え」た上で、冷静に、理性的に討論会をご視聴いただきたいと思います。

哲学者ハンナ・アーレントが強く主張したように、政治は子供の遊び場とは異なるのです。

それが、あるべき、「都構想を考える」姿勢なのです。