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「佐々木氏からの藤井批判」(前半)に対して『再反論』を完了しました。

以前TVでご一緒した佐々木氏が、当方の7つの事実を批判しておいでです。この原稿では、「専門家」の雰囲気が醸し出される形で、色々と論じられていますが、当方の7つの事実に対する反論部分だけ、簡潔に再反論をしておきたいと思います。

【争論1「今回の住民投票が決まっても、「大阪都」にはなりません。」】

これについて、佐々木氏は、これまで実に多くの方々が行ってきた批判と同型の批判をしています。

要するに、佐々木氏は、制度都市の「都」が実現する、という反論をしています。

しかし、それは「反論」ではありません。そもそも協定書そのものが「特別区設置」の協定書であり、制度としての「都」が実現するのは、当たり前です。

しかし筆者はここではあくまでも、制度ではなく、「名称」のことを取り上げているのです。以下、「7つの事実」原文より引用します。

『今の法律の中には,東京都以外の道府県を「都」に名称変更するということは定められていない….したがって,住民投票でこの協定書が認められたとしても大阪都は実現しません.大阪府は大阪府のままなのです.』

これのどこが事実から乖離しているのでしょうか? 誤解でもなんでもなく、これは、事実でしかありません。

そもそも、この「事実」が重要なのは、「都という制度が実現する」と誰もが漠然と知っている事実は、伝えても意味はないですが、「名前は都にならない」という事を「知らない人が多く」、しかも、それを知ることで、「投票判断」が変わる可能性を秘めているからなのです。

聞いても意見が変わらない事実なんて伝えても価値はないですが、知れば意見が変わる事実を伝えるべきであるのは、何人たりとも否定できないと考えます。

したがって、この佐々木氏の反論は、「反論の体」を成していません。

【争論2.「今の「都構想」は、要するに「大阪市を解体して五つの特別区に分割する」こと。】

これについて、佐々木氏は次のように反論しています。

「→この説明も間違っている。大阪都構想は大阪市を廃止し、特別区を設置するという狭い意味の行政改革の構想ではない。」

残念ながら、この佐々木氏の反論もまた、反論の体をなしていません。

まず、当方の言葉をしっかり見てください。当方は、「都構想」と言っているのではなく、

 「今の」都構想は

と「今の」という言葉をつけて、限定しているのです。

実際、原文では、次のように解説しています。

『かつては,堺市や周辺の自治体も「特別区」にすることが構想されていたのですが,一昨年の堺市長選で,この都構想が堺市民から事実上「否決」されましたので,その構想それ自体が,「大阪市を解体する」ということだけになったのです.

つまり,今度の住民投票で問われているのは,この「大阪市を5つの特別区に分割すること」についての賛否,というわけです.』

これが一体、どういう風に事実と乖離しているのでしょうか?

したがって、佐々木氏は、当方が指摘した事実の「事実性」を論駁しようとしているのではなく、それを巧みに回避した上で、

「そんなのは問題じゃないんだよ」

という形で、論点をすり替えているのです。

これは、以前
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/10/fujii-131/
で取り上げた、箕面市長の倉田氏が行った、

 「詭弁」

による反論と、全く同型です。

ただ違いはがあるとすればそれは、佐々木氏の方が、「肩書き」があり、「専門的な用語」を多数ちりばめておられる、という点だけです。

しかし、今まで、「日本有数の世界的社会心理学者」や「日本有数の世界的な経済学者」達と、学会やメディア上で心理学や経済学の論理とデータで学術的なバトル(それは単なるののしり合いで無くあくまでも学術的論争です。当方は断じて、ののしり合いバトルには与しません)を繰り返して参りました当方からしてみれば、佐々木氏のこのような態度に接する経験は、それこそ掃いて捨てる程ございますので、残念ながら当方には、佐々木氏の論理と倉田氏の論理とは相違は全くないという基本的構図がいとも容易く見て取れてしまうのです。

いずれにしても、純粋学問にいて最も忌み嫌うべき態度は、
 「悪しき権威主義」
なのです。佐々木氏の「良識を売りにする大学人の場合、専門領域はもちろんのこと、それ以外のことについて、少なくも学者を看板にしてものを言い、書く場合、正しい根拠を示すことは倫理として初歩的なことである。」などという言説には、その悪しき権威主義が見え隠れするやに思えます。こういう権威主義のおぞましさについては、例えば拙著「プラグマティズムの作法」に記載したケーベル博士の日本の学者批判の下りなどを是非、ご覧いただきたいと思います。
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/archives/154

・・・という事はさておき、事実3以降についても、佐々木氏の「後半」の原稿にてしっかりとご反論頂けるものと思いますので、楽しみにお待ちしたいと思います。

もちろん、誠実な学術的議論においては、先方の説に利があれば、当然ながらそれを認め、自説を修正することが大切になりますので、もしもそういうご指摘があれば、喜んで、自説を修正いたしたいと思います。

それともう一点、この佐々木論文で、「少なくも学者を看板にしてものを言い、書く場合、正しい根拠を示すことは倫理として初歩的なこと」の視点から、佐々木氏の言説には、その「倫理として初歩的なこと」が欠けている点がある旨、申し添えておきたいと思います。

佐々木氏は、こう述べます。

「こうした大きな背景を有する大阪都構想だが、藤井氏の都構想の理解は府と市の事務、財源、職員、財産移管などの振り分け、約束事を書き込んだ「特別区設置協定書」に記述された契約内容を大阪都構想と理解し、それに基づいて全てを説明しようとしている。

この協定書は大都市地域特別区設置法で要求する法律上義務付けられた書類であり、大阪市を廃止した際、府に移管するものと特別区に移管するものを振り分ける法的契約書に止まる。ねらいを含め大都市ビジョンを構想する中での都区制度移行の手段部分を抜き出して語っているに過ぎず、大阪大都市構想の本質からずれている。大きな誤解であり間違いだ。」

皆様、特に大阪市の皆様、このような学者の発言を、放置していてよいものでしょうか?

私は、この発言は、佐々木氏には「倫理として初歩的なこと」が欠けている発言にしか思えません。

佐々木氏は確かに行政学の専門家かもしれませんが、(政治学や政治哲学を持ち出すまでもなく)「一般社会人」としての常識をどの程度おもちなのかと、疑わざるを得ません。

確かに「協定書」は、現在、職業的な学者をしておられる佐々木氏の目からみれば、

  「大きな背景を有するもので、協定書の内容はさして重要ではない、
   重要なんは、その背景の考え方だ」

とお感じになるのだと思いますが、それは、新自由主義者と呼ばれる方々がその典型ですが、「自説を試したい」という、学者が陥りがちな不道徳であると、筆者は常々考えています(それは、佐々木氏に対してのみ感ずることではありません)。

考えてみてください。

協定書が通れば、大阪市民は、その協定書に書かれたことに制約を受けつつ、設計される行政の仕組みの中で、生きていかなければならないのです。

その大阪市民の立場に立ってみたとき、「協定書なんて、さして意味がない。重要なのは、背景のビジョンだ」と本当に言えるのでしょうか?

もちろん、背景ビジョンは重要です。しかし、生身の人間の暮らしを考えた時、協定書は、極めて重要であることは、自明としかいいようの無いことです。

例えば、家を建てるとき、佐々木氏は、ビジョンを大工さんに言うだけ言って、後は設計図も何も見ず、大工さんの腕前すら頓着せず、「ビジョンが大事だ」「設計図や大工の腕前の様な、個別具体的な話しはどうでもいい」と言ってのけることができるのでしょうか? (←当たり前ですが、出来るはずがないですよね)

したがって、私は、こういう学者の態度には、断固反対します。

我々学者には、重大な責任があることを、忘れてはならないのです。いい加減な言説をもっともらしく述べたてる学者の仮面をかぶった真の学者あらざるもの達のせいで、我々は、デフレから脱却できず、地方は創生できず、災害で多くの人々の命が失われ続けていることを、私たちは断じて忘れてはなりません。

繰り返します。

佐々木氏のこの「具体的な協定書の中身を軽視する態度」には、佐々木氏がおっしゃる「倫理として初歩的」な視点から、断固として、反対を申し述べておきたいと思います。

以上、取り急ぎ、佐々木氏の「前半」の原稿について、簡単に再反論申し上げておきます。

(皆様、これから、佐々木氏のこの原稿をもってして、藤井が完全論破されたと、騒ぐ方が出てこられるかも知れませんので、万一、そういう方を見かけたら、上記の様に再反論が「完了済み」である旨、ご紹介差し上げてください)

追伸:客観的事実情報ですが、佐々木氏は、「大阪市の特別顧問」のお立場です。

そもそも、大阪市の行政方針に「異議」を唱え続ける様な「与党内野党」の様な立場をとっておられるなら別ですが、そのようなお話は伺ったことはございません。したがって、大阪市が推進しようとする「都構想」に対して、学術的に中立のお立場で発言しておられるか否かには、重大な疑義が存在し得る、という点については、一言申し添えておきたいと思います。少なくとも、ご自身の原稿で、その点は明言いただきたいと思いますが、そのようにはしておられませんでしたので、ここに追記いたします。なお、当方は、「当方の見解は、自身が関わるいかなる組織の見解とも関係ありません」という旨は、しばしば追記させて頂いている通りです。