大阪市民にとって、『都構想』は『自治』を失うだけの話である。|藤井 聡

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大阪市民にとって、『都構想』は『自治』を失うだけの話である。

言論誌「表現者」での今月号に、「都構想」を取り上げた記事を掲載しました。この原稿では、
 
 「都構想は、単に、大阪市民が『自治』を失う話だ」

という点を取り上げました。
この論点は、これまで論じてきたものの中で、いつか話しようと思いながら、少々、抽象的な議論となりますので、公表しそびれてきた論点でしたが、
実を言いますと、これこそが都構想の「最大の問題点」なのです。
「表現者」というかなりハードコア(?)な言論誌でしたので、この点を改めて論じた次第です。
未公開の原稿ですが、大変大切なお話でありますので、まずはその一部だけでも、ご紹介差し上げます(原稿全体は、「表現者」の最新号をご覧ください)。
以上、ご紹介まで!
=======(「表現者」予定原稿:抜粋)=======
【「自治」を自ら捨てる暴挙 ~大阪都構想の真実~ 】
                           藤井聡
『「都構想」の本質は、大阪市の廃止解体』
 いわゆる「大衆社会化」の問題が激しく進行してしまった我が国において、真っ当な政策議論がほとんど成立しない状況が至る所で散見される様になってから久しい。そして今、まさに、その問題の深刻さがそんな所にまで立ち至っているのかと唖然とせざるを得ない様な事態が今、我が国において進行している。
 「大阪」における「都構想」と呼ばれている極めて過激な行政改革を巡る議論だ。
 「都構想」の問題は、実に様々な観点から論ずることができるが、その中でもとりわけ看過せざる愚かしい議論は、「自治」を巡る議論だ。
 そもそも「都構想」なるものは、(1)大阪市という政令指定都市を廃止し、大阪市民による一つの共同体を解体し、その自治権を喪失せしめた上で、(2)大阪市民がこれまで所持していた「都市計画」をはじめとした自治権の一部を大阪府に譲り渡すと同時に、(3)大阪市民による一つの共同体をわざわざ五つの新しい共同体に分割していく、という構想だ。
 「都構想」なるものは、具体的な中身が「大阪市の廃止分割」にしか過ぎぬものであるという概要を解説するだけで、常識ある人々ならおおよそが賛成することなどあり得ぬ代物なのではないかと思う。
 ところが、今、大阪では、最新のアンケートでは、反対する人よりも、賛成する人の方が多いという事が示されている。
 無論その理由は、ほとんどの大阪市民が「都構想」というものの具体的な内容をよく知っておらず、おおよその「イメージ」だけに基づいて判断している方が多い、というものであろう。実際、上記アンケートでは、7割が「説明不足」だと感じていると示されている。
 しかしそれよりも重要な問題は、多くの人々が「自治」あるいは「自治権」が如何に重要なものであり、それを失うことがどれだけ深刻な事なのか、という事についての常識を、ほとんど持ち合わせていない事なのではないかと思う。
 もしも、「自治」なるものが一体何なのかという常識さえあれば、「都構想」の具体的な中身をほとんど知らずとも、「大阪市がなくなって5つの特別区を作る」、という事実を知るだけで大きな反対運動が巻き起こることが間違い無いからである。
『市長や市役所、議会は「市民」の僕である』
 そもそも「自治」とは何かと言えば、それはすなわち、「自分や自分たちに関することを自らの責任において処理すること」である。
 例えば今まで「大阪市」と今呼ばれている大阪の都心エリアでは、100年以上にわたって、「大阪市民」によってこの「自治」が行われてきた。つまり、自分たちでおカネを(税金というかたちで)出し合って、教育、福祉、まちづくり等の様々な共同の事業を進めて来た。
 そして、そんな共同事業を行うために、市長という一人のリーダーを決め、そのリーダーに、各事業を行う総指揮を務めさせてきた。そんな組織として「大阪市役所」という役所をつくり、その職員を公募し、その中からできるだけ優秀な役人を選び、彼らにいろいろな仕事(消防、教育、まちづくり、福祉、医療、等)をさせてきた。
 一方で、そんな行政の仕事のやり方や、そのためのおカネ等については、皆でじっくり話し合って決めなければならない。そうした理由から、大阪市民達は自分たちの代表である議員を選び、彼らに議論する仕組みを作った。それが「大阪市議会」と呼ばれるものである。
 ──にも関わらず、大阪市の「解体」が多くの大阪市民に支持されているのは、大阪市役所と大阪市議会というものに対して、今の多くの大阪市民が、大きな不満を抱いているからだと言う声を頻繁に見聞きする。
 しかし、役所や議会の中に「どれだけ立派で無い」方々がおられとしても、やはり、大阪議会議員や大阪市役所の役人は「大阪市民」にとっては、やはり重要な存在なのである。
 それは、社長にとっては、自分の会社のために働いてくれる社員は、やせても枯れても、どれだけロクでもない奴でも大切な存在なのだ、ということと同じだ。
 そもそも、大阪市長や大阪市議会議員、大阪市の役人達は、他の役所の役人や政治家と違って、「自分たち大阪市民のために働くために雇われている存在」だ。つまり、大阪市の市長や議員、役人達は皆、筋からいって、大阪市民が「雇い上げている人々」だ。実際、彼らの給料は、大阪市民の税金からまかなわれているのだから、文字通り、大阪市民の皆さんが、身銭を切って雇い上げている。
 いわば、大阪市民は、大阪市長や大阪市役所の役人を、「雇っている」という立場にある、主人なのである。
 だから、大阪市役所の役人や議員、市長は皆、「大阪市民という社長」の「部下」なのである。
(中略)
 もしも都構想が実現してしまえば、大阪市民は、大阪市長と大阪市議会議員という強力な政治的パワーや、大阪市役所という強力な行政組織を「自由に活用」することが出来なくなってしまうのである。その代わりに大阪市民にあてがわれるのは、圧倒的に政治力の弱い特別区長と特別区議会議員と、行政能力が必ずしも大阪市役所ほどに高くない特別区役所だけなのである。
 これこそが、「大阪市民としての自治を失う」ということなのであり、これこそが、「都構想」と呼ばれるものの真実の姿なのである。すなわち「自治権」というものは、都市計画や福祉など、自分たちが必要だと思う事柄を自分たちで『自由』に決めることができる権利なのであるが、都構想で大阪市が解体されば、その権利が、大きく毀損してしまうことになるのである
 それが、現在の大阪市民に対してどれだけ強烈なデメリットをもたらすのか、それは計り知れぬものがある。仮に都構想で二重行政なるものが改善する事があったとしてもそんなメリットをあらかた吹き飛ばす程の、強烈なデメリットだ。
(中略)
 だからこそ筆者は、自治の自殺とすら言いうるこの「都構想」への賛否の判断を「自治」というものについて思いを巡らさないままに下すのは、余りにも悲しい話だと思えてならないのである。