新日本経済新聞2015年10月17日

大阪維新の会による藤井のTV出演の取りやめ誓願含意を含む不当なBPO申し立てに、
遺憾の意を表明します。

京都大学大学院教授 藤井聡

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本声明文の骨子は、「BPOの公正な判断を、心から祈念する」ものであると同時に、以下の三点を主張するものである。

一つ、維新は、「藤井の意図」故に藤井のTV出演が放送法四条違反だと指摘しているが、放送法はそもそも出演者の資質ではなく番組・放送全体の公平性を求めるもの。
したがって、この主張それ自体が不当な言論弾圧である疑義が濃厚にある。

一つ、しかも「藤井の意図」は学者の良心に基づくもので、その助言は番組内容を放送法四条の視点から公正なものとしようとするものである。したがって、それに不服を申し立てる維新こそが法の精神に反している危惧すら懸念される。

一つ、今回の申し立て経緯を見れば、維新は、批判する者なら通信傍受でも何でも行いながら黙らせようとする全体主義的な党なのだ、という疑義が濃厚にある。
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こういう記事が配信されています。

 http://www.sankei.com/west/news/151016/wst1510160100-n1.html

記事によりますと、「藤井氏が自民党推薦のダブル選候補者らに送ったとされるメールの内容を大阪維新が入手した」そうです。つまり、当方の「私信」を「何らかの方法」で秘密裏に入手したそうです。そして、その「私信」を根拠に、「(藤井氏が)特定の候補者や政治団体を利するために番組を利用」したと維新側が認識している、と報道されています。

ですがまず第一にこれについては、維新側の違法行為の疑義が存在します。

そもそも維新の側の当方の私信の(公党による窃盗の可能性も排除できない不明な極秘ルートでの)入手、ならびに、それを報道各位に無作為に「ばらまく」行為に関しては、憲法が保障する通信の秘密を侵された疑義が濃厚に存在します。

これではまるで全体主義における監視社会そのものです。維新は私信を傍受(※)して政治的に利用していることすら疑われるわけですから、文字通り、全体主義的な政党であるという疑義が極めて濃厚となった言えるでしょう。維新は批判する者なら傍受でも何でも行いながら黙らせようとしているのではないか、という次第です。これは、市民にとって大変に怖い話です。政治や行政の内部文書を政党が入手して暴露するならまだしも、これは、さすがに私信ですから、本当に恐ろしい話です。ついては、この点はこれからさらに追及することとしたいと思います。
(※ 一般に「傍受」とは通信において「直接の相手でないものが、その通信を偶然または故意に受信すること。」(広辞苑より抜粋)を意味するものです。ここで故意のみでなく「偶然」を含むことから、傍受の概念は相当広いものとして、定義され散る点に留意願いたい)

……ただし、これを一旦脇におくとしても、上記報道は著しく一方的な報道であり、誠に遺憾です。

そもそも、これまで何度も主張して参りましたが、放送法が定める政治的公平は、

 「番組全体」「放送全体」

についてのものであって

 「出演者個人」

のものでは断じてありません。したがって、この申し立てそれ自身が不当である可能性が明確に存在しているのです(詳しくは、追伸1を参照ください)

ただし今回の問題はそこだけではありません。それ以前に、当方は、番組が放送法四条で明記されている「政治的な公平」なものとなることを意図してTV局に助言したに過ぎず、維新側にBPOに申し立てられる筋合いのものではありません。むしろ、それに不服を申し立てる維新側こそが、放送法四条に違反した申し立てをしているとすら考えられるところです。

そもそも当方の公的発言はいずれも、学者としての良心に従ってものであり、政治家や報道関係者に対するあらゆる助言もまた、その良心にしたがうものです(これから橋下維新側が公表するであろうことが予期されるメール文書の各文言についても、良心に従うものに他なりません。著しく不当なものを徹底的に批判し、非難するのは、良心にかなう発言なのです。例えば、「詐欺師を非難しつつ詐欺師と対話する方々に真実を伝えようとするケース」を想定いただければ、当方の発言が如何に良心に基づくものであるかを理解いただけると思います)。

そして当方はこれまで繰り返し解説してきたとおり、維新が掲げる「都構想」が著しく不当な政策であることを学者として確信し、その政策を徹底的に批判し続けています。一方で、学者として提言している「大大阪構想」こそが大阪を救う政策であると確信しています。

したがって都構想を軸とした公約が適正に解説されればその公約についての印象が悪化する一方で、大大阪構想と類似する政策を含む公約が適正に解説されればその印象が改善するのは当然の事なのです。
(ホントの事が理解されると、詐欺師は損をして正直者は得をする、という分かりやすい話と同じです)

そして当方は、一般の皆さんがそれぞれの公約を「適正に理解・認識」する事を、学者の良心に従って「意図」しています。そうした意図に基づく番組内容に対する助言は、学問的良心に従う言論人・解説者として正当、公正な行為でしかありえません。つまり、それは放送法四条で定められる公正さの理念に反するどころかむしろ、それを「実現」するための行為に他ならないのです。

そして維新側が主張するように特定の政党・候補者を利することが仮にあったとしても、それは公正な助言活動の「結果」に過ぎません。そしてその「結果」に関して私信で言及することは一私人として当然あり得るところです。

以上の説明を踏まえてもなお、番組の公正さを疑うのなら、編集されたその番組、ならびにそこでの発言の一体どこに不公平があったのかを明らかにすべきです。それもなしに藤井のTV出演を放送法四条違反と断罪し、藤井の出演取り下げの請願(追申1参照)を含意するのは、それこそ放送法の精神に違反した、著しく不当な申し立てだと言わざるを得ません。そもそも番組を見れば一目瞭然でありますが、編集された番組が政治的公平であったことは明白なのです。

こうした背景から、政治的公平の実現のための助言を行った筆者としては、藤井が出演した番組が「政治的公平を定めた放送法4条に違反する」とする維新のBPO申し立ては、不当な申し立てであると認識せざるを得ず、当該申し立て、ならびに、その一方的な報道に対して、強い遺憾の意を表明いたします。

いずれにいたしましても、BPOの公正なご判断を、心から祈念いたしたいと思います。

追申1:
この度のBPOへの申し立てにおいては、一部情報筋では、維新側は「テレビ番組のレギュラーコメンテーターとして起用し続けることは、放送法4条に明確に違反する」と明言している、と伺っています。しかしこれまで何度も解説して参りましたが、番組が確保すべき公平さは番組全体の公平さであり、出演者一人一人の公平さではありません。もとより、誰もが公言する際何らかの(複数の)意図をもっている可能性は明確に存在し、その可能性を踏まえた上で番組全体の公平さを確保することを目指している、というのが全ての番組の常態です。そして個々の出演者の意図に拘わらず、番組全体の公平さが保たれた編集がなされる限り、放送法四条に抵触することは絶対にありえないのです。したがって、特定個人の出演取りやめの請願を含意するこの申し立ては、その意味において放送法四条の精神から乖離した不当なものと言わざるを得ず、それ故、この申し立てそれ自身が、「公党による窃盗の可能性も含めた私信入手に基づく、自分たちに批判的な言論人のTV出演を取りやめささせるための不当な圧力」である疑義が明確に存在しているのです。その点については、徹底的にこれからも、追及してまいりたいと思います。

追申2:これから半月程度の間に、「橋下維新」を「あらゆる角度」から徹底的に検証する書籍三部作を出版します! 大阪、そして日本の行く末に巨大な影響を及ぼし得る大阪ダブル選挙に向けて、良心的かつ適正な世論形成のためにも、是非とも、ご一読ください!全て異なる角度からの書籍となっています!なお、今回の維新によるいわゆる「通信傍受」に基づく言論に対する圧力は、「デモクラシーの毒」をふんだんに孕んだ「ブラックデモクラシー」に他なりませんね。

デモクラシーの毒(ジャーナリズム対談by藤井&適菜)

大都市自治を問う~大阪・橋下市政の検証 (学術書by藤井&村上&森,他)

ブラック・デモクラシー~民主主義の罠 (言論書by藤井&中野&適菜&薬師院)